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杉の木

Suginoki1m

空に厳然と立つ杉の木。


日本全国にこうした姿があるのでしょう。


この木は育ちやすく、良質な木材資源として知られています。


この間、この木についてコメントに書き始め、長くなったので別項を建てるとお話しした、それがこの文になります。長文になってしまいましたので、興味のない方は飛ばして下さい。

日本は京都議定書をとりまとめたとき、時刻のCO2削減率について産業界からの反対もあり、また、おそらくは林野庁(現農林水産省)からの要望もあり、森林によるCO2吸収率を他国よりも多く設定することで目標を達成することを議長国として決定しました。


実際にはこの目標は全く達成できなかったのですが、それは私は政府が本気で取り組みを行わなかったためであると思っています。

まあ、それは横に置いて。


森林によるCO2吸収をあげる手段として林道整備を行う、と言う物がありました。これは良質な木材資源として育てるためには杉林は間伐、枝打ちをきちんと行う必要があり、そのためには林道整備が必要である、といった論点だったと記憶しています。

それは枝打ち、間伐が行われていない、杉林が数多くある、と言うことも意味しているのではないでしょうか?


では、そもそもなぜそういう杉林があるのでしょう?


私は日本の林学をきちんと学んだ物ではありませんので、誤認識、記憶違いがあるかもしれませんが、戦後、木材需要が非常に逼迫したとき、多くの杉林が皆伐され、新たに植林される、と言う磁気があったと聞いています。

また、同時期、役所(林野庁)主導で杉は換金性の高い樹種である、と言うことが言われ、結果として、全国各地で、杉が植えられていなかった場所にも杉が植えられる、と言う状況が現出した、と認識しています。

これはかならずしも杉に適していない土地に杉を植える結果になったのかと思っています。

また、杉がある程度の労働集約的な樹種であることをあまりきちんと考えずに行った施策ではないか、とも考えています。

その後、安価な輸入材が日本の木材市場になだれ込み、結果として杉は換金性がかならずしも高い、とはいえない木材になったように見受けられます。

事実、当初30年たてば伐採、換金できる、と言われていましたが、今は50年生以上でなければ換金に適さない状況にあると聞いています。

また、なぜ海外の木材が安価かというと、海外の林地は平坦なところが多く、作業は大規模な機械化が進んでおりますが、一方日本の国土のうち、林業が営まれているのは基本的に傾斜地、それも急傾斜地であり、機械化が難しいことが一つの要因になっています。

つまり、杉は儲かる樹種ではなくなっているのだと思います。


学生の頃、関東近辺の林を跋渉したことがあります。杉林に入ると枯れた下枝がびっしり生えていて、手でパキパキ折りながら進んだ印象が強く残っています。また、間伐がされていないため、貧弱な木が多く、こんなのが売れるのだろうか?と素朴な疑問を持ちました。


私は役所のようなところに一時期おりました。そこにはいわゆるキャリア官僚と言われる方が天下りで来ていらして、林野関連の組織でしたので、林野庁からの天下りの方が多くいました。

ある日、私が「関東周辺の杉林の状況はひどいですね」といったところ「そんなことはない。きちんと手入れがされている」とひどくご立腹でした。


さて、きちんと間伐、枝打ちがされているのなら、林道をさらに造る必要は無いことになります。まあ、その矛盾はおいたとしても、実際、杉の木に適していない場所にまで杉を植えているのは事実だと思います。

林学は勉強していませんが、植物は好きですので、それぞれの樹種が好む土地柄、と言うのがあるノくらいはわかるつもりです。


そもそも杉の自生林(自然に生えた林)は四国ぐらいまで、と学んだ覚えがあります。まあ、吉野杉、秋田杉など、植えれば十分に育つ土地があることは確かなことではあります。

しかし、それはきちんと枝打ち、間伐を行った場合の話であって、もし、何もせずに放っておけば自然に関東であれば、樫を主体とした林、東北地方になればブナを主体とした林になるのでしょう。

こちらはそもそもその自然に適していますから、特に手はかからないと思います。

もちろんいきなり、樫、ブナがはえるわけではなく、関東であれば、コナラ、楓のような早生樹が先に生え、ゆっくりと遷移しながら樫の林になるのだと思いますが、その間に地下に膨大な有機物質を蓄えてゆきます。

林道を造って間伐を行うよりはこうした広葉樹林を育てる方が、現在の労働力(林業に携わる人々の高齢化は深刻な問題です)を考えても有用なのではないでしょうか?

もちろん採算のとれるところには集中してすぎ(あるいは檜)を植えることを否定する物ではありません。が、どこでも杉、檜を植えればよい、と言う物ではないのじゃないか、と言うことです。

また、枝打ち、間伐した際、とくに間伐の際の間伐材はどういう風に扱うことを前提に京都議定書での論拠としたのでしょうか。たとえば、すぐ焼却してしまうのであれば、あまり効果はないように思えます。まさかにそんなことはないでしょうけれど。

私はどうも役所の過去を自ら改めぬ姿勢が好きになれません。孔子は「君子は豹変す」と行ったと聞き及びます。これはちまたで言う謹厳実直そうな人が急に態度を変化させる、と言うことではなく、君子たる者は過ちをすぐに認めて改める、と言う意味だと聞きます。

戦後、何年たったのかは知りませんが、いい加減、昔の論理で構築した施策はきちんと現実にあったものにするべきではないのでしょうか。


駄文、失礼いたしました。

最後に建物の陰に一叢の水仙が咲いていましたので、記事とは関係なく、載せさせて下さい。

Suisen1m


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Comments

おはようございます。

なるほど、杉の木が多いというのは、換金性が高いという論理だったのですね。きっと机上の論理はあったのでしょうが、どこか思慮に欠けた考えだったのでしょう。その土地にあった木を植えて、自然に任せるという考え方や、広葉樹林を植えて芝山的に育てるという考え方があるようですが、後者は芝刈りをして炭を作るようなサイクルが確立していないと成り立たないようですね。いずれにしても、経済学や自然科学の知識を総合して、きちんとした林業政策を考えて欲しいですね。

Posted by: kincyan | February 10, 2010 08:57 AM

kincyanさん

こんにちは。

そうですね。最初に判断したときは、妥当性は疑問としても、一応の筋は通っていたんだと思います。

でも、時代が変わり、当然最初の判断を変える必要はあったんだと思います。

kincyanさんがおっしゃるとおり、広葉樹林でも武蔵野の森と言われる風景はクヌギ、コナラが主に生えて構成されている林ですけれど、あれは農家の方が林をいろいろと利用していたからできた物だ、と聞きました。

落ち葉は堆肥として畑へ。木の部分は蒔き休みとして燃料に。利用しなければ、コナラ、クヌギは自然といなくなって行き、樫などに取って代わられるようです。

どういう風に考えるか、難しいですが、今の時代、換金性だけで物事を判断することは、少なくとも林をどう守るか、と言うことから言えば間違っていると思います。

ちなみに、こんなニュースを見ました。

http://mainichi.jp/select/science/news/20100119ddm008020045000c.html

太陽光発電等をを積極的に利用して自然エネルギーと既存の発電設備をうまく効率的に利用していこう、と言う試みに見えます。

でも、なんでこういうニュースは雑な扱いなんでしょうか?

三宅

Posted by: 三宅信光 | February 11, 2010 04:30 PM

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